中国山地の山懐に抱かれた匹見は、落葉広葉樹林帯に覆われ、まさしく林都の名にふさわしい町です。

そうした様相は、採集・狩猟を基調とした住古の縄文の人たちにも格好な生活の場として受け入れられたらしく、町内には多くの遺跡が存在しているとともに、また近世期には山の民であった鈩師・木地師などの移動漂泊民のエリアでもありました。

ことに木地師は轆轤師(ろくろし)ともいわれ、ロクロ谷などの地名にもみることができる一方、林野に散在する墓石にも往時を偲ぶことができます。


また町内には移動と伐採の特権を主張した、いわゆる木地屋文書や古文書などにも残されており、そして彼らの豊かな行動は、文政三年(一八二〇)に成ったといわれる『石見外記』にもみることができます。我われは、こうした彼らの技と英知で完成させていった木地の工(たくみ)を後世に引継いでいくとともに、木のぬくもりを主張していきたいと思っている次第であります。